網野神社

網野神社の本殿を含む8棟の建造物が国の有形登録文化財に選ばれました。

 みなさまのおかげ様をもちまして、網野神社の本殿など境内の8棟の建造物が平成21年8月に
国の有形登録文化財に選ばれました。
網野神社の建造物の歴史的様式意匠等が高く評価されました。

 今回の栄誉につきましては、これらの建物を建立した先人たちの情熱や千年以上に渡る氏神様の信仰を
今日まで護ってこられた地元の皆々様の強いお気持ちがあってのことと思います。

(写真は 国登録文化財の認定プレートを埋め込んだ記念石碑。正面鳥居の左に設置されています。)










国の登録有形文化財に選ばれた網野神社の建造物

名称 建設年代 特徴
網野神社本殿
(あみのじんじゃほんでん)
大正11年
(1922)
大正11年に旧境内を拡張し、新たに本殿、渡廊、拝殿が新築され、現在の境内に至る。設計は古建築技師岸熊吉(T6京都府技手、T10奈良県技師、1882-1960)。大工は長岡虎造。歴史的な様式意匠に精通した岸の手腕が発揮された精緻華麗な彫刻が見所である。本殿は一間社流造、当初は檜皮葺きであるが、平成20年改修により金属板葺きになった。
網野神社拝殿
(あみのじんじゃはいでん)
昭和4年
(1929)
当初は大正11年新築の本殿と同時期に建築されたが、昭和2年(1927)3月7日の丹後震災により倒壊。昭和4年に同じ設計者、大工により再建新築された。柱間開放の横長平面になり、屋根は入母屋造りで正面軒先に唐破風を設け、さらに上部に千鳥破風を載せて正面性を強調している。
網野神社渡廊
(あみのじんじゃわたろう)
昭和4年
(1929)
本殿と拝殿の中間に建つ。拝殿と同様に震災で倒壊した為、再建新築された。緩やかな屋根勾配と繊細な軒反りや内部の優雅な蟇股彫刻に本殿・拝殿と共通する繊細な意匠が窺われる。
網野神社神饌所
(あみのじんじゃしんせんしょ)
昭和前期 震災後の復興期に社格を整える為、建築された神饌を調度する建物である。外壁に連子窓を意匠的に設け、内部は梁上に板蟇股を掲げ、緩やかな屋根と共に優雅な外観である。改修により桧皮葺きから金属板葺きになった。
網野神社透塀
(あみのじんじゃすきべい)
昭和前期 神饌所と同時期の建築。拝殿後方から本殿を矩形に囲み、上半分は菱格子、腰長押から下部は板壁になり、東西に両開き戸を設け緩やかな軒反りを見せる。改修により檜皮葺きから金属板葺きになった。
蠶織神社
(こおりじんじゃ)
天明2年
(1782)
旧網野神社本殿になり、大正11年に旧境内を拡張した際に御神体は現在の網野神社本殿に遷座した。その際に、織物神と養蚕神を合祀して蠶織神社(こおりじんじゃ)となった。一間社流れ造り、三方に縁を廻らし、柱と頭貫上部には、龍や鳳凰、唐獅子、飛竜、象鼻などの彫刻で飾られて賑やかな江戸後期の神社建築である。
手水舎
(てみずしゃ)
昭和18年
(1943)
震災後の復興期に社格を整える為、参道横に建築された。設計は京都府技手風間利之、大工は京都市内の奥谷熊之輔。小規模であるが、妻側に本格的な板蟇股を見せ、柱も軸太な意匠を表し、水盤を備えている。境内の重要な景観要素である。
石鳥居
(いしとりい)
明治14年
(1881)
「明治十四年十一月吉日」の刻銘がある。大正11年の神社拡張に際し現在地に移築されたが、丹後震災により倒壊、昭和4年旧規に復旧された。笠木・島木に反りがある安定した明神型鳥居で境内の重要な景観要素である。