網野神社

境内社のご紹介

蠶織神社(こおりじんじゃ)

織物業の守護、技能芸能の上達、商売繁盛のご利益

御祭神 

天照大神(あまてらすおおみかみ)
天棚機姫大神(あめのたなばたひめのかみ)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)
大宜津比売神(おおげつひめのかみ)








金山彦命(かなやまひこのみこと)   鉱山の神(元小金神社)
高龗神(たかおかみのかみ)      貴船神社の御祭神、水や雨を司る神(元小金神社)
大日孁神(おおひるめのかみ)     太陽の神、天照大神と同神(元大日孁神社)
若宇賀之女命(わかうかめのみこと) 食物を司る神、豊受大神と同神(元大日孁神社)

(こちらの四柱の神々はかつて網野神社の境内社として祀られておりましたが、大正14年1月22日に蠶織神社に合祀されました。)

御由緒

 大正14年(1925)4月、丹後縮緬(たんごちりめん)同業組合竹野郡支部と竹野郡蚕糸(さんし)同業組合の関係者が協議して、本郡に織物(おりもの)の神(天照大神と天棚機姫大神)と養蚕(ようさん)の神(和久産巣日神と大宜津比売神)を奉祀(ほうし)することになり、竹野郡の中心網野町の網野神社に奉斎(ほうさい)しました。(時の府知事の斡旋もあって)織物神は京都紫野今宮神社御分霊を、養蚕神は皇居の紅葉山の養蚕神の御分霊を勧請(かんじょう)して合祀(ごうし)し、社名は大正天皇の皇后様である貞明皇后(ていめいこうごう)のお言葉のまにまに「蠶織神社(こおりじんじゃ)」と定められ、4月15日に網野町民、郡内養蚕業者数千人が参列し、盛大な鎮座祭が斎行されました。今日に至っても、毎年4月の中頃には織物業に携わる方々が中心となって、産業の振興と発展を祈願する盛大な神事が執り行われております。
 現在の蠶織神社の社殿は、天明2年(1782)に建立されたもので、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の社殿の各部には江戸時代中期の匠による賑やかな彫刻が目を引きます。
 蠶織神社は、その由緒に皇室とのご縁が非常に深いため、社紋は「菊」と「桐」になっており、社殿の棟にもそれらの社紋があしらわれております。大正11年(1922)に現在の網野神社の本殿と拝殿が新築されるまで、こちらが網野神社の本殿として崇敬されてまいりました。

早尾神社(はやおじんじゃ)

網野地名の起源 病気平癒の御神徳

御祭神
天湯河板挙命(あめのゆかわたなのみこと)
御由緒
創立年月日不詳

 『日本書紀』の垂仁天皇(すいにんてんのう)記二十三年には、「第十一代垂仁天皇の皇子誉津別王(ほむつわけのみこ)は三十歳になられても言葉をお話しになりませんでした。ある日、王が大空を飛ぶ白鳥をごらんになられて、『あれは何か』とお生まれになって初めてものを仰いました。その様子を父君である垂仁天皇はたいそう喜ばれて、天湯河板挙(あめのゆかわたな)にその白鳥を捕らえてくるようにお命じになられました。そこで湯河板挙は但馬國[(たじまのくに)(一説には出雲國)]まで追って白鳥を捕らえ、これを天皇の御前に献じました。それから王はこの白鳥と遊ぶうちに言葉を話されるようになられたのです。この功績を讃えられ、天湯河板挙には鳥取造(とっとりのみやつこ)の姓(かばね)を下賜されました。」とあります。 こうしたことから、早尾神社は病気平癒の御神徳があり、古くから人々より篤く信仰されております。

 網野の地名の由来
 
 この地域には天湯河板挙命が白鳥を捕らえる際、松原村[まつばらむら(網野の古い地名)]の遠津神[とおつかみ(日子坐王との伝承もあり)]に祈願をし、水江に網を張ったことから、松原村は網野と称されるようになったとの言い伝えもあります。 また天湯河板挙命は網野町の浅茂川の日吉神社の境内社をはじめ、いくつかの場所で「早尾神社」として祀られております。

愛宕神社


防火・防災の守護神
御祭神
火産霊神(ほむすびのかみ)
御由緒

 火産霊神は、火神である軻遇突智神(かぐつちのかみ)と同神で、また火之夜藝速男)神(ひのやぎはやをのかみ)とも火之炫毘古神(ひのかがびこのかみ)ともいいます。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)二神の御子神で『古事記(こじき)』や『日本書紀(にほんしょき)』の伝によれば、伊邪那美命はこの神をお生みになられた時に御陰(みほど)を焼かれて神避(かみさ)られました。
 火産霊神は火のことを掌(つかさど)りお守りになられる神さまですから、火の災いを避け、火を防ぎ鎮めるために、古くから人々は愛宕神社を丁重にお祀りして参りました。

 当愛宕神社の縁起には、社記に「延宝(えんぽう)6年(1678)愛宕権現開闢、享保(きょうほ)3(1718)丙寅6月24日再興云々」とあります。このことから近世になって山城国の愛宕神社(日本全国に900社を数える愛宕神社の総本宮。京都市右京区)より御神霊を勧請(かんじょう)し網野村鎮火の守護神として現在地に祀られるようになったものと考えられます。
  



立脇神社(たてわきじんじゃ)

元尾坂の氏神様

御祭神
稚産灵神(わくむすびのかみ)  穀物の生育を司る神
保食神(うけもちのかみ)   食物を司る神
稻倉魂神(いなくらたまかみ)  稲の生育を司る神
火遇津智神(かぐつちのかみ) 防火、竈(かまど)の神

御由緒
創立年月日不詳

 かつて立脇神社は網野町尾坂(おさか)区字立脇に鎮座しており、尾坂区の氏神様として崇敬されてまいりましたが、第二次大戦後の世相の変化に伴い尾坂区を離れる人々が増えたため、昭和37年(1962)7月23日に当網野神社境内へ遷祀されました。
 現在、尾坂区は無人の地になっていますが、立脇神社は尾坂区の旧住民たちにより今日まで篤く信仰されております。
 社殿は享保14年(1729)と文化6年(1809)に再建され、明治2年(1869)に「立脇神社」と改称、同5年村社となりました。
 立脇神社御祭神のそれぞれの御神徳には、食物や稲や竈(かまど)に関するものがあり、生活全般の守護神として崇められてきました。また、このような御神徳から尾坂区住民は古くから「三宝荒神(さんぽうこうじん)さん」や「お稲荷さん」として親しんできたようです。


市杵嶋神社(いちきしまじんじゃ)

「弁天様」とも称される水の女神


御祭神 

市杵嶋比女命(いちきしまひめのみこと)

御由緒

創立年月日不詳

田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)と共に所謂宗像三女神の一柱で古くから水の神さまとして尊崇されております。日本神話には天照大神と素戔鳴尊が天真名井で誓約をされた際に、お生まれになられたと記されております。後に神仏習合の結果、同じく水の女神というところからか「弁財天(弁天様)」と習合しました。弁天様はその琵琶を奏でる姿から音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」としても崇敬されております。